IBMの衰退、マイクロソフトの台頭

IBMは1970年代メインフレームコンピュータ市場を独占しました。しかし、新技術によりコンピュータがどんどん発達し小型化されていく中で、コンピュータ市場に閉めるIBMのシェアは低下していきました。この時期に開発された新技術は、後のミニ・コンピュータへとつながっていきます。IBMはこのミニ・コンピュータ市場での市場拡大をうまくとらえられず、DECやデータ・ジェネラル、ゼロックス、データシステムなどの企業が勝利することになります。顧客に対して、IBMが提供する特別なサービスやサポートも必要とされなくなりました。
そのころ大学では、1台のメインフレーム・コンピュータを複数のユーザーが同時に使うというタイムシェアリング・システムの重要性が高まっていました。タイムシェアリングとは、同じコンピュータを複数のユーザーが同時に使用する方法で、各ユーザーが一台ずつコンピュータを購入するよりも安上がりだったのです。多くの人々がコンピュータ産業を電力産業と同じように考えるようになっていきます。しかし、このような、コンピュータ・ユーティリティシステムを管理するためのソフトウェアの開発は当時きわめて困難でした。また、集積回路(IC)の導入もあり、コンピュータのハードウェアの価格が下落したため、2,3人のユーザーで使うことができる、小型のミニ・コンピュータが安く買えるようになり、経済面でタイムシェアリングのインセンティブが低下しました。
1966年、ミニ・コンピュータの数は世界で3600台でしたが、1969年には19000台に、1974年には15万台に増加していきます。
1970年ごろに、インテル社がマイクロプロセッサ(超小型演算装置、MPU)を開発します。プログラムによって制御可能なマイクロプロセッサは、ほとんどすべての人が購入できる水準までコンピュータの価格を引き下げました。1975年には、最初のパソコン・アルテア8800が登場。ユーザー自身が組み立てて使うタイプで、前面についているスイッチを入れることでプログラムが入力されるものでした。(メモリ不足のため、多くの作業をすることはできなかった)
アルテア8800の登場により、小規模な企業が外部メモリや記憶装置などの周辺機器を供給するという機会が生まれ、さらにソフトウェア・プログラムを提供するチャンスが生まれました。ビル・ゲイツとその友人ポール・アレンは、アルテアを販売していたMITS社と、アルテア8800洋のプログラムシステムを生産する契約を結びます。ゲイツとアレンはマイクロソフトという共同経営会社を設立し、MITS社にソフトウェア・システムを売るのではなく、ソフトウェアをひとつ売るごとに使用料を得るやり方をとります。
アルテアが登場してから多くの企業がパソコン市場に参入しました。パソコンは、本体およびソフトウェア開発のための立ち上げ費用が比較的安かったため、新規企業の参入が容易でした。
しかし、パソコン市場にIBMが参入し、IBM・PCは急速に業界標準となります。他の企業はIBMのクローンを作るか倒産するかというほどの状況に追い込まれました。ただしアップル・コンピュータだけは、まったく異なる系統のコンピュータを製造することで生き残ります。
IBM・PCは、インテル8088マイクロプロセッサなど他企業も購入可能な部品から組み立てられていたため、多くの企業がIBM社製品のクローンを市場に売り出すことができました。そうしたクローン製品のほとんどは労働コストの低いアジア地域で生産され、IBM・PCのクローンを作っている企業は競争を優位に進めていきました。逆に生産コストが高いIBMなどは結局戦いに敗れてしまいました。
パソコンが一般的になるにつれて、ハードウェアよりもソフトウェアのほうが重要な要因となっていきます。1981年から1984年の間に、パソコン用ソフトウェアの売上は1億4000万ドルから16億ドルへと成長しました。
ソフトウェアが重要になると、マイクロソフト社がその鍵を握ることとなります。事実上すべてのIBM・PCと互換機上でMS-DOSが動いていたからです。市場競争によりハードウェアの価格が下落する一方、マイクロソフトはDOSそしてウィンドウズによって、OSの支配権を握り続けることになります。
OS市場を支配することで獲得した収入により、マイクロソフト社はアプリケーション・ソフト市場にも参入。ワードとエクセルは市場のリーダーとなりました。コンピュータが複雑化するにつれて、ソフトウェアも複雑化していき、開発に何百人ものプログラマーが必要になったため、市場に参入できる企業が限定されてしまいます。参入障壁ができてしまったのです。
現在、マイクロソフトの創業者の一人であるビルゲイツは世界一の資産家です。しかし、IBMがパソコンによって脅かされたのと同様に、1990年台にはワールド・ワイド・ウェブの登場によりマイクロソフトの支配が脅かされることとなります。