1950年代では、コンピュータといえば巨大なメインフレーム・コンピュータのことでした。1台で数百万ドルもする高価なもので、それを利用するのは大企業か政府機関でした。1951年、アメリカの国勢調査局が、業務用に作られた最初のコンピュータ・UNIVACを購入。一般大衆がUNIVACの存在を最初に知ったのは、1952年に大統領選挙のニュースをCBSテレビが放送した際にUNIVACが使われた時でした。ほとんどの世論調査では大統領選は僅差になると予想していたのに反して、UNIVACはアイゼンハワーの大勝をたたき出しており、結果442対89とアイゼンハワーが勝ちました。(UNIVACの予想は438対93だった)
UNIVACはレミントン・ランド社によって製造され、たいていのアメリカ人が最初に出会ったコンピュータであるといわれています。IBM社は1959年に1401というモデルを投入し、コンピュータ産業での市場支配を確立しました。1401の成功は、IBM社が同時に開発に成功した新しい印刷技術によるところが大きいです。1401は1分に600行を印刷可能で、それ以前にIBMの売れ筋計算機の4倍のスピードでした。1401は計算機の2倍の値段でしたが、印刷能力が4倍になることを考慮すれば、その価値は十分でした。
1960年代初頭までのコンピュータ産業は、市場のごく一部にコンピュータを供給することで細々と生き残っていました。7人の小人と呼ばれる7つの小規模な企業で構成されており、当時は異なる機種間での互換性がありませんでした。IBM社だけでも7種類の異なるモデルを生産していましたが、その7モデルはそれぞれ独自の販売部隊と生産ラインを持ち、独自の部品を使用していました。
ソフトウェアの互換性もなく、より大型のコンピュータを購入したい企業は、新規に購入するコンピュータのためにアプリケーションソフトをすべて書き直さなくてはならず、時間の浪費とコストの問題がありました。
1964年3月、IBM社はシステム/360を発表。これは、互いに完全な互換性を持つコンピュータの製品ラインナップでした。システム/360はIBM社の成長を急速に促します。膨大な注文に応じるためにIBMは新たに組立工場を建設し、従業員を増やしました。(システム/360導入後の3年間で、IBM社の従業員数は50%増加。)
IBM社は1970年代を通じて、メインフレーム市場の75%を支配し、コンピュータ産業を支配し続けます。1970年代初頭の景気後退期には、RCA社とGE社はコンピュータの生産ラインを停止しました。この結果、コンピュータ産業には、IBM社とBUNCH(バローズ社、ユニバック社、NCR社、コントロール・データ社、ハネウェル社)だけが残ります。
IBM以外の小企業はIBM社が関わっていないニッチ市場を見つけ出すことで生き残りを図っていました。