アメリカ政府は、新しい技術開発のために資金援助などを通じて新技術の開発や普及を促進しました。日本でも、日本政府はあらゆる形で日本のコンピュータ産業の発展を手助けする役割を果たしたといわれています。
1957年、日本にコンピュータ産業を構築する基盤づくりの目的で、通商産業省(現経産省)内にコンピュータ政策担当部署として電子工業課が設置され、さらに、コンピュータ産業の保護育成を目的とした「電子工業振興臨時措置法」という法律が制定されました。日本政府によるコンピュータ産業育成方針の明確化は、それまでコンピュータ産業への参入を躊躇してきた民間企業の側に市場参入インセンティブを与える要因となりました。そして1960年代には国産メーカーがコンピュータの生産を本格化させます。
しかしコンピュータ産業全体の規模はかなり小さかったため、政府はIBMをはじめとする外資系企業に対して日本国内での生産台数を制限するなどの非自由化政策を実施します。この保護政策により、日本企業が外資系企業との市場での競争を避けることによって成長しました。
1970年代に入ると、海外からの圧力もあり、コンピュータ産業の自由化も進展しましたが、一方で政府による新技術開発への支援も継続的に実施されました。1976年には通産省が積極的に関与しながら、富士通、日立製作所、三菱電機、日本電気、東芝の5社にコンピュータ総合研究所および日電東芝情報システムの2社を加えた7社をメンバーとしたVLSI研究組合が組織されました。政府は多額の補助金を供給することを通じて、VLSI(大規模集積回路)の開発を支援したのです。結果、このプロジェクトは日本の半導体製造技術の水準と研究水準を引き上げ、1000件を超える特許を生み出す成功を収めました。政府は資金援助を通じて民間企業の研究開発リスクを大きく減少させ発展に寄与したのです。
しかし1980年代以降には、コンピュータ産業はメインフレーム中心からパソコンやワークステーション中心への小型化が進んだにも関わらず、政府の政策は従来どおりメインフレーム中心の考え方に基づいたものだったため政策効果は限定的なものに留まることになってしまいました。
技術革新の方向性がある程度定まっている場合、政府の大規模な支援に基づく産業政策は有効ですが、市場や技術が急速に変化し始めると政府の大規模な支援を受けて開発された技術が市場で優位性を持つかどうかは、予想がとても難しくなります。
近年ではITの重要性が日増しに高まっており、政府の役割も重視されています。2001年には日本をITの世界最先端に導くべく、政府はIT戦略本部を内閣に設置、e-Japan戦略を発表しました。2003年にはそれをさらに進展させるためにe-Japan戦略Ⅱを発表。課題は、高度情報通信ネットワークの作成、人材育成、電子商取引の促進、行政・公共分野の情報化、ネットワークの安全性と信頼性の確保など。
こうした政府の政策の成否を分ける大きな要素は、政府が対象となる産業や企業の特性、直面する外部環境などを把握し、政府に何ができ何ができないかを明確にした上で政策を実施することにあるといわれています。