アメリカ国防総省高等研究計画局は、自らが資金提供しているアメリカ国内のすべてのコンピュータをより効率的に使用する方法を模索していました。たとえば国内の時差によって、A地点ではコンピュータが混み合っているのにB地点ではコンピュータが空いています。双方を効率よく稼動させることができれば理想的です。
ネットワークを通じて異なるコンピュータをつなぐARPANET(アーパネット)と呼ばれるネットワークが1969年に開始されました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学、スタンフォード研究所(非営利の研究機関)の四箇所のコンピュータが結ばれます。このアーパネットが今日のインターネットの始まりです。1971年には、国防総省の資金提供を受けて、アーパネットは15台のコンピュータをつなぎ、1970年代を通してさらに拡大を続けました。しかし、コンピュータの価格が低下したことから、コンピュータを共有して利用することに対する需要は減少。コンピュータという稀少な資源を共有する手段としてなら、それ以上の拡大は必要なくなったのです。
しかしアーパネットのユーザーは電子メールという新しいネットワークの使い方を見出します。1970年代の初頭までに複数のネットワークが立ち上げられ、さらにこれらのネットワーク同士を結んで、ネットワーク同士のネットワーク、つまりインターネットを発展させるという構想が生まれました。そして1977年、インターネットが初めて成功します。当時のインターネットは主に大学及び国防総省関連の施設を結んでおり、国防総省は関連施設間の通信に対して信頼性を要求していたので、ネットワークの技術的な設計に関する多くの側面に重大な影響を与えていましたが、1982年、アーパネットから軍事関連施設が分離されました。
1990年、スイスにある欧州合同原子核研究機関という研究所で、ワールドワイドウェブ(WWW)という新しいアプリケーションが生み出されます。ハイパーテキストという言語が開発され、ユーザーが情報の一部分から別の情報の一部分へと移ることを可能にしました。そうして、WWWはインターネットの使用に新たな機会を開く環境を作り出したのです。WWWの登場で、WWW上のすべての情報を検索する手段が求められ、ネットスケープやインターネット・エクスプローラのようなウェブ・ブラウザが開発されることとなりました。
インターネットは、どんなOS上でも動くアプリケーションの開発という新たな可能性を開いたため、マイクロソフトの独占を脅かしました。マイクロソフトはユーザーとコンピュータ間のインターフェイスに関する支配を維持するために、OSであるウィンドウズにブラウザをバンドル(標準装備)しました。
このことが、マイクロソフト社とアメリカ連邦政府との法廷闘争につながっていきます。